先日、東忠の蔵の中を片づけていた時のこと…。木でできた、おかもちを見つけました。おかもちとは、食べ物を屋外に持って出るための箱のこと。出前や仕出しの際に使うものです。
そして、おかもちの蓋を開けてみたら、中に漆塗りのお重が入っていました。私くしが思いますに、昔はこのお重にご馳走を詰め、それをおかもちに入れて、外に持って出たのでしょう。春にはお花見に出かけ、桜の花を愛でながら美味しいお酒を飲んだり、秋にはもみじ狩りに出かけ、燃えるような山々を眺めながら美味しいご馳走を食べたり…。あぁっ、想像しただけで優雅な気持ちになりますね♪
そしてもう一つ、おかもちとお重を見て、私くしの頭に浮かんだことがあります。それは、「鈴木 牧之(すずき ぼくし)」が書いた、「北越雪譜(ほくえつせっぷ)」。鈴木 牧之とは、江戸時代の随筆家で、南魚沼の塩沢の生まれ。また、北越雪譜とは、雪国の風習や伝承などについて書かれた本。そして、その本の中に「地獄谷の火」という章があり、小千谷のことが書かれています。
その内容を、かいつまんでご紹介すると…
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越後の七不思議の一つに、地中から出る火(天然ガスが燃える火)がある。越後にはこうした火の出る場所がいくつかあるが、小千谷の地獄谷の火はその中でも盛大である。そして、そこに家を建て、その火を利用してお湯を沸かし、お客に入浴させたら、たくさんの人が訪れるようになったという。
私が小千谷に行った時、友人が地獄谷の火を私に見せようと、他にも数人を連れて、また、ご馳走やお酒を用意してそれを手伝いの二人に持たせ、十人で小千谷を出発して西に向かった。この日は快晴で、秋の景色がとても美しかった。
山を越えると地獄谷だった。茅葺きの家が一つあり、それがお湯屋だった。私たちが近づくと、お湯屋の窓辺に美女が四、五人出て来て、こちらを見て笑ったり、名前を呼んだり、手招きをしたりしている。周りは山ばかりだというのに美女を見て驚き、キツネかタヌキに化かされているのではと思ったら、実は、小千谷の下タ町というところにいる芸者さん達で、私を誘った友人が彼女達をこっそり招いて、私を楽しませようとしたのだった。
芸者さんが窓辺からしきりに呼ぶので、私達はお湯屋に上がった。そして、私は風呂に入った。座敷では早くも三味線を鳴らしている。風呂から上がって座敷に行くと、お酒が出ていてすでに大変な騒ぎである。芸者さん達が袖をつらね、三味線を鳴らし、美しく歌っている。彼女達の美しい容貌から、地獄谷がたちまち極楽になった。また、この芸者さん達の主人も一緒にいて、雇っている料理人に作らせたご馳走で宴を開いた。
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…と、おおむねこのような内容なのです。
なお、ここに記されている「ご馳走やお酒を用意してそれを手伝いの二人に持たせ…」とか、「小千谷の下タ町というところにいる芸者さん達で…」とか、「この芸者さん達の主人も一緒にいて、雇っている料理人に作らせたご馳走で宴を開いた…」というくだりから、東忠の蔵の中で見つけたおかもちとお重が、このような時にも使われたのではないか…と、思ったわけです。そして、もし本当にそうならば、歴史の一端に触れたかのようで、何だか嬉しくなってしまいます。
ちなみに、このおかもちとお重は、東忠の「水仙」の間に飾ってあります。ご興味のある方は、是非、見にいらしてください。またいつの日か、おかもちとお重を持って、ご一緒にどこかへ出かけましょうか(芸者さん達もつれて…)?
*この随筆は、小千谷新聞の2025年01月01日 正月特別号に掲載されたものです。